キミにきめた!はあの頃子供だった私たちが今の新しいポケモンたちを受け入れるために作ったのだろうか?
どうも懐古厨です。
私はポケモン世代で今も昔も一番好きなアニメは初代ポケモンです。無印ポケモンです。
さて今回の「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」は見る勇気がないのですが、なんだか否定派と肯定派に分かれている気がします。
見る前は否定派だった人も公開後、実際見てみてほしい!という意見も現れ。
しかし私はどうにもこうにも受け入れられず・・・。ほとぼりも冷め始めた頃なのでちょっと書こうと思いました。
- キミにきめた!はカスミとタケシを排除する必要が本当にあったのか?
- 最近のアニメの傾向
- 主人公が同じはずなのに。
- 新シリーズが発表されるたびに、歴史が塗り替えられるような気がしてしまう悲しみ
- 予告編の古参向けに見せかけた策略
- まとめ:察するに、無印ポケモンオタク向けの作品ではない。
キミにきめた!はカスミとタケシを排除する必要が本当にあったのか?
私は根っからの初代ポケモンアニメ好きで首藤剛志信者です。初っ端から絵も帽子も違ったので期待はしていなかったのですが、気になってはいました。
しかし、世界観をぶち壊されます。。。
カスミとタケシがでなければ、違う地方のポケモンが登場する。
な、なんだこの世界は…昔の話をするはずなのに…どうしてこんな。
今のポケモンがどうだからとか話のコンセプトがどうだからとかそんなの昔のポケモンが大好きな私にとっては知ったこっちゃなくて、もちろん今のポケモンしか見てない人は昔のポケモンとか知ったこっちゃないんだろうけど少なくとも昔の話に遡るくせに、そのわりに、時系列とか世界観とかぶっち壊してきてる気しかしません。
だからどうしても否定的。ポケットモンスターという初代の名前をそのまま使うのもいかがなものかとさえ思ってしまいます。
だからなんだかやっぱりどうしても良かったって話を聞いても見れません。
この状況下で今も私は駄々をこねているわけです。
最近のアニメの傾向
ポケモンに限ったことではないのですが、アニメ全盛期を取り戻すかのようにリメイクが出ています。デジモンアドベンチャーtriとかまじツライ。ファンだから一応3まで見たけどキャラにらしさがなさすぎてクソおもんなかった。
ポケモンゲーム自体もカントーのポケモンを進化させたり。
最近のポケモンはさっぱりなのでわかりませんが。。
リザードンの進化は・・・私的にはナンセンスすぎた。
ポケモンの不思議としてはわかるけど、○周年というのがあるからなのか、ネタ切れなのか、過去の栄光にすがっているのか・・・・大人の事情があるようにしか思えない。
主人公が同じはずなのに。
以前も投稿していましたが、ポケモンのもったいないところは水戸黄門的アニメになってしまったところです。
アニメ「ポケットモンスター」という作品は大衆化され消費されてしまったと思う。なあなあにパターン化された1話完結の話が続く。有名になってしまったからこそ、「本当に良い話」「物語の本質や訴え」をファン以外が知ることもなく、興味を持つきっかけもなくなり、ポケットモンスターという名前だけが一人歩きしてしまう。
本当はデジモンアドベンチャーのようにコアなファンが存続し、正当な評価を受けるべきだったように思う。こんなに面白い作品なのに面白い話を知られずに名前だけが有名なのが本当に悲しい。だったらちゃんと完結して欲しかったと思えてしまうのが私のエゴ。
長く続いてしまったせいでファンも離れ、話が完結せずに主人公はサトシとピカチュウのままにシリーズだけ移り変わっていくもどかしさ。
「思っていたポケモンとは違った」想像を絶する設定に驚愕。脚本家・首藤剛志の描く小説版ポケットモンスターThe Animation - misallychan.com
人気を博した結果だけれど、サトシとピカチュウはそのままに、サトシはどんどん昔のサトシじゃなくなって、ピカチュウもただの聞き分けの良いポケモンになって、、、
世界軸・時間軸がないようで実はダイヤモンド・パールの時代まではちゃんとあったはず・・・。アドバンスジェネレーションまでしかちゃんと見てないけれど。
どんどんなくなってって昔のキャラが出ていた時代も終わり・・・
リザードンが出てきたりとかもあったけどなんか・・・こう・・・違うんだよなあ。
おそらくプリキュアとかガンダムとか、同じシリーズでも毎回はじめからで主人公は違っていて、私はポケモンだってそういうので続けてくれればよかったのになって思ってしまうのです。もちろんサトシとピカチュウ、ロケット団に会えないのはつらいけれど、でもそう思うのです。
新シリーズが発表されるたびに、歴史が塗り替えられるような気がしてしまう悲しみ
何が嫌ってよく考えれば私は映画に限ったことではありませんでした。私はカスミが大好きなので、歴史が塗り替えられてしまう感覚が常にありました。
年を追うごとにカスミの存在がなかったかのようになっている気がして・・・
それが本当に寂しくて仕方ないのです。
今までマサラタウンに帰るたびにサトシの家で待っていてくれたのになあ。
(カスミの話は追々したい。。首藤剛志が一番キャラが薄いと言い放ったカスミのことを私は今でも一番好きでいる)
懐古厨うざいという話が出ているのは承知していますが。
「良かった」って感想を言ってる人が多ければ多いほど、初代のポケモンがどんどん遠のいて行ってしまう気が。。。。
しょうがないことなんでしょうけど、受け入れられずにいます。受け入れられたのはAGくらいですね。
予告編の古参向けに見せかけた策略
今回のキミにきめた!は、ターゲットが20代とされていますね。あの頃ポケモンを見て、やっていた世代。
それがひしひしと伝わります。
しかし、過去にすがるわりに、過去を突き放すような演出がすごいんです。
なぜならキミにきめた!の予告編・・・
最初の予告
【公式】劇場版ポケットモンスター キミにきめた!予告1
あたかもリメイクであるかのように仕立て上げていて、、、
この予告が出ていたときは期待の声も多く上がっていました。
しかし、予告編2ではまさかの裏切り。全くもって昔のキャラは出ません。
【公式】劇場版ポケットモンスター キミにきめた!予告2
20代に見てほしいと謳っている割に、
本当にポケモンが大好きだった20代を侮辱するような歴史の改変。
(これはいろんな意見があるけれど私は率直にそう思いました)
「一部脚本首藤剛志」との表記があったらしいけどこれってどうなんだろう。どこに彼の意思が生きるのか、彼が生きていない今となっては何もわかりません。
まとめ:察するに、無印ポケモンオタク向けの作品ではない。
良かったという話はたくさん聞きます。文句を言わずにまず見てみろとも思います。
でも見てしまったらどうしても受け入れてしまうような気がして。なんだかそれはできなくて。
なぜ、あの頃のポケモンを改変する必要があったのか・・・・
もしかして、あの頃子供だった私たちが、今の新しいポケモンたちを受け入れるために作ったのだろうか?
売りたいのは今とこれからのポケモン。
昔のポケモンを知らない子供たちのためにこういう改変が必要なのかとばかり思っていたけれど、ポケモンGOも出てどう考えても昔のポケモンは改変なんて必要なくそのままで受け入れられたはず。
だったら、もしかしたら、そんな今のポケモンから離れた大人たちに向けて作った作品なのかもしれないなあ。
もちろんそのターゲットに、古参で今でも無印ポケモンを愛して追っかけている私なんかは含まれておらず、消費者にも成りえないので、そんな私にとっては思ってたんと違う作品になったのかもしれないなあ。
どんな名作も、売れなきゃならないですもんね。