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「思っていたポケモンとは違った」想像を絶する設定に驚愕。脚本家・首藤剛志の描く小説版ポケットモンスターThe Animation

今週のお題「わたしの本棚」より、本日の一冊。

私は大のポケモンアニメ好きなんですが・・・(ちなみにアドバンスジェネレーションまで)

今日はそのポケモンの小説版をご紹介します。 

 

ポケットモンスター The Animation 首藤剛志

 ポケットモンスターって子供向けとか思われがちじゃないですか。

でも実は初期のポケモンってもっとこう、大人にも訴えかけるようなメッセージ性があったんですよね。

 

ブラックジョークとか・・・当たり前にありましたし。

主人公であるサトシも、今とは違って昔はもっとお調子者で、デリカシーの欠片もない子どもでした。

絶対年上の人には敬語なんて使わなかったしね!

 

今でも評価されるミュウツーの逆襲

世代じゃない人からしたらポケモンって本当に全然内容がわからないと思うんですけど。

今でも、いつしかポケモンを馬鹿にするようになってしまった同世代でさえ、心に残っている作品が、ミュウツーの逆襲です。

子供の時のほうが、これを見たってなんだかよく分からないと思います。

ただ悲しい話だったかもしれない。

他の作品と比べるだけでポケモンとは思えない重たさのある作品です。

なぜならテーマが「自己存在への問いかけ」。

 

これを仕掛けたのが、「首藤剛志」という脚本家の存在

ミュウツーの逆襲は、人間によってクローンとして生み出されたミュウツーをはじめとしたポケモンたちの、“自分とは何か”という自己存在への問いかけに対する本物とコピーの戦い。

コピーの側には、本物そっくりに生み出されたというコンプレックスがある。だから、本物には負けられない。

本物には、自分がオリジナルだと言う自負がある。だから、コピーに負けるわけにはいかない。

だから、自己存在を賭けた戦いが始まる。

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この戦いにはトレーナーたちは首をつっこめるはずもなく、ただ呆然とその終わりの見えないポケモンたちの殴り合いの光景を見ている。

普段はトレーナーたちの命令によってバトルを仕掛けるポケモンたちが、自分の意思で、自分のプライドや自負から、自ら互いを傷つけ合っている。

 

この痛々しい光景が、映画の終盤長く続く。

子供向けアニメ・映画とは思えないような重たさである。それを仕掛けたのが、首藤剛志であり、今回紹介する小説の著者であります。

 

ポケモンの世界を勘違いしていたのかもしれない

視聴者の捉え方によってその作品は完結するものだと思う。

しかし、この小説を読んだ時に思ったのは、「ポケモンの世界は私の思っていたものとは違った」ということでした。

 

受け手として私が捉えていたポケモンは、ちょっと毒があるけど眩しくてそれぞれが優しい世界だと思っていた。けれど「そうじゃない」ということを、すんなりと受け入れてしまったのです。

これは、著者への敬意なのかそれとも、キャラクターへの誤解からの謝罪の心なのかなんなのか。

 

いずれにせよ私はこの小説の中でのポケモンが、私のポケモンの正解であり、首藤剛志の描くポケモン世界が、私のポケモン世界の全てであると思いました。

 

何がそんなに違うのか

ポケモンの世界観はそもそも曖昧でした。

ゲームでもアニメでも当たり前に存在しているポケモン。遭遇して、バトルして、モンスターボールでゲットして、またバトルする。

 

第1話の脚本を書き上げる前に、ゲームを元にして僕なりのポケモンの世界観を作っておいたのだが、それを文章にしたのが、小説版の『ポケモン』だった。

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この、首藤剛志によりつくられた世界が、私が思っていた世界を覆すようなものでした。

曖昧だったところを、ものすごく明確に、語られた。

物語だったところを、ものすごくリアルに、現実味を持たされた。

 

 

曖昧なポケモン世界で当たり前だから気にしていなかったことが、実はリアルな事実の元に成り立っていたかのような表現

ポケモンは当たり前にいるけど「なんでいるのか」。

トレーナーの指示でバトルしているけど「意味はあるのか」。

ポケモンとトレーナーには信頼関係があるように見えるけど「本当に仲良しなのか」。

トレーナー目線の気持ちはわかるけど「実際ポケモンはどう思っているのか」。

ポケモンはモンスターボールの中に入るけど「どうして入るのか」。

転送装置はあるけれど「どうやって転送されるのか」。

ポケモンは進化するけど「どうやって、なぜ進化するのか」。

そもそも、ポケモンとはなんなのか。

サトシは、カスミは、タケシは、ジムは、家族は、学校は、友達は、社会は・・・

 

 

「ぜ〜んぶ、当たり前だよ〜ん。」「そうだから、そうなのよ。」と言わんばかりに進められてきた話の根本から覆されるような話だった。

疑問を抱かないように進められてきたはずだったのに、疑問を抱けるポイントの全てに解説がつけられていた。

 

 

例えば下記のような形である。

 

このような驚きと発見でいっぱいなので、より一層ポケモン世界を楽しめる。

 

 

 

ポケモンの心、トレーナーの心

例えばサトシとピカチュウは今では誰もが認める仲良しのポケモンとトレーナーだが、実際はどうなのだろうか?

ピカチュウはどこからどう見ても可愛らしく愛しい生き物だが、実際は何を考えているのだろうか?

 

旅に出る初日。寝坊したサトシはオーキド研究所で、余ったポケモンをもらう。

ピカチュウを抱き上げたサトシはすぐに、猛烈な電撃を食らった。

ピカチュウは言うことを聞いてくれないし、ボールにも入ってくれない。

お調子者のサトシはオニスズメに石ころを投げて、オニスズメの大群にも追いかけられた。

ボロボロになった二人。

そこでサトシはオニスズメの大群に立ち向かう。

 

アニメでさえ感動の第1話。

これだけでも二人の気持ちを考えてしまうけれど、実際のところどんなことを二人は思っていたのだろうか?

小説版ではそれを皮肉なほどリアルに、けれど美しく描いてくれています。

 

しかし、泣かせにきているわけでも、同情を煽るわけでもない表現

先ほど「皮肉なほどリアル」という表現をしましたが、私は首藤剛志の作品どれもに通じて皮肉さとリアルさを感じています。

思い描いていたようなキラキラしたストーリーでは決してない。

そんな世界は存在していないとでもいうかのように、偽善もへったくれもない、もっとリアルで皮肉めいたストーリーが、彼の作品にはあります。

 

けれどそこで現実を見てしまって絶望を覚えてしまうような表現は一切なく、一貫して「問い」「肯定」が続く。

それがどれほど美しいことか。

 

きっとその世界観に引き込まれることと思います。

 

 

アニメ「ポケットモンスター」という作品は大衆化され消費されてしまったと思う

何よりポケモンに対して勿体無いな、と思うのは、この著者の語っていた言葉を使えば「水戸黄門的アニメ」になってしまったこと。

なあなあにパターン化された1話完結の話が続く。有名になってしまったからこそ、「本当に良い話」「物語の本質や訴え」をファン以外が知ることもなく、興味を持つきっかけもなくなり、ポケットモンスターという名前だけが一人歩きしてしまう。

 

本当はデジモンアドベンチャーのようにコアなファンが存続し、正当な評価を受けるべきだったように思う

こんなに面白い作品なのに面白い話を知られずに名前だけが有名なのが本当に悲しい。だったらちゃんと完結して欲しかったと思えてしまうのが私のエゴ。

 

長く続いてしまったせいでファンも離れ、話が完結せずに主人公はサトシとピカチュウのままにシリーズだけ移り変わっていくもどかしさ。

 

私は首藤剛志の描いた世界でのポケモンの完結を望んでいたし、それ以外でのポケモンの完結は受け入れられる気がしないと感じている。

 

今回ご紹介した小説も未完結のまま終わってしまった

残念ながら3巻は、終わらないはずの物語の終盤を描いてしまうという理由から発売されずに、首藤剛志は亡くなった。

もう彼のポケモンを見ることはない。

 

ちなみに私はこのVol.2を手に入れられずにいます。なぜなら絶版のせいか出回っている中古本はものすごく高い。Vol.1は10年前までは中古でも500円程度で手に入れられたのに、亡くなった後だからか、今ではものすごく高く売られている。

 

けれど、こうして中古となっても作品たちは残っているので・・・

少しでもポケモンに興味がある人、昔はポケモンに興味があった人はぜひ、 この小説を手にしてみてほしいと思います。

 

 

ちなみに、ミュウツーの逆襲の続編とされるスペシャルアニメ「ミュウツー我ハココニ在リ」もものすごく面白いので見て欲しい。

ポケットモンスター ミュウツー!我ハココニ在リ [DVD]

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